ある日突然、母が認知症…

天寿全うは簡単じゃない

人は生まれて、そして死んでゆく…

それは、自然の摂理であり、当たり前のことですね。オギャーと生まれてくることも簡単なことではありませんが、天寿を全うして死にゆくことはほんとに大変ことです。


いろいろなことが便利になり行政のサービスも充実したこの時代ですが、それでも、天寿を全うすることは簡単では無いようです。

大量のじゃやがいも?!

多くの人と同じように、私もさまざまなライフイベントを経験してきましたが、人生最大の危機!それは、母親が認知症になったこのときのことです。


あの日のことは、今でも鮮明に覚えています。
久しぶりに両親の顔を見に行こうと思い、車で一時間半かけて実家を訪問したときのこと。


家の台所にそれはそれはたくさんの玉ねぎや人参、じゃがいもが買い込まれていたのです。
父と母の年寄り2人の食材にしては、その量は異常な量でした。


嫌な予感がした私は、冷蔵庫の中を見てみると、そこには、異常な数の納豆と、異臭を放ち色が変わってしまったお豆腐が数丁。
その異様な光景に、私は言葉が出ませんでした…とてもショックだった。

頭をよぎる「〇〇症」の3文字

しばらく頭が真っ白になったのち、頭の中をよぎったのは「認知症」の3文字でした。


追い打ちをかけて、さらにショックだったことは、母の異常行動を父に話した所、父は「いつものことだ」と取り入ってくれなかったことです。


これは大変なことが起こっていると思った私は、すぐに兄弟にも話しましたが、もちろん取り入ってはくれず、その時ほんとに私は途方にくれました。家族の誰もが、母の認知症から目をそむけ、逃げたのです。

逃げる父と兄弟

家族たちは母の危機的な状態を認めてくれなかったので、孤立した私はこの問題をひとりで背負うこととなってしまいました。


今から10数年前のあの頃は、介護保険が始まったばかりの頃で、今のようにあちこちに介護施設ができていたり、介護サービスが充実しているわけではありませんでしたから、私はどこに相談したらいいのかさえわからず、困り果てたことを今でも思い出します。


私の生活はといえば、大学に通う2人の子どもたちがいて、私は夫と共に共稼ぎでフルタイムで仕事をしていましたI,自宅から実家までの距離は車で1時間半…
とても母の様子を見守りにゆく余裕はありませんでしたね…。

到底無理なこと…


その後どうやってこの困難を乗り越えたかといいうことは、また別の機会にコラムとして掲載したいと思いますが、もし、このコラムを読んでくださっているあなたが、当時の私と同じ悩みを抱えているのでしたら、とにかく、ひとりで抱えるのは到底無理な問題であることを強く強くお伝えしておきたいと思います。


親が認知症になったら…その後の道のりは決して簡単ではありません。残念ながら…それが事実です。


診断をもらうために病院に連れてゆくのも、困難を極めました。
まるで、イヤイヤ期炸裂の2歳児のようで、苦労の連続でしたよ~~


でも、母を見捨てるわけにはいかないと思った私は、片っ端から助けを求めてゆきました。
ほんとうは、助けを求めることは苦手な性格なのですが、あの時はなりふり構わず、助けを求めました。


頼れそうな親戚に連絡をし、区役所へ行き、とにかくとにかく、諦めず食い下がって食い下がって助けを求めました。
残念なことに、一番身近な親兄弟よりも、親戚や行政の人たちが力を貸してくれて、いつもいつも涙がでるほど感謝したことを今でも覚えています。

このコラムを読んでくださっているあなたが、親孝行であればあるほど、親が認知症になるということは、人生の一大事となるでしょう。


しかも、先の見えない、いつまでこの問題と付き合えば終わりがくるのか全くわからない、長く暗いトンネルを歩いてゆくような感覚にさえなることがあるような問題となると思います…

ダイジョウブ

でも、大丈夫。私でさえ乗り越えることができたのですから、きっとあなたも大丈夫。


そう信じて…
絶対にひとりで抱えることなく、周りに助けを求めて乗り越えてくださいね。


もし、誰にも相談できずにつらく抱えているなら、ご相談ください。
とにかく、ひとりで抱えないでください。先に困難を経験した私からのお願いです。


あなたもきっとダイジョウブ!

投稿者プロフィール

山口 祐里慧
山口 祐里慧夫婦・家族問題心理カウンセラー
一般社団法人メンタルヘルス協会上級心理カウンセラー
日本心理学会認定心理士
アンガーコントロールスペシャリスト
マインドフルネススペシャリスト
キャリアトランプファシリテーター
栄養士